キム・チュンソン(金忠善、別名沙也可)先生の人類愛と平和を願う精神は壬辰<イムジン>倭乱(文禄の役)以後朝鮮通信使へと受け継がれ日韓両国の友好と平和の促進に大きく貢献した。「キム・チュンソン」について史料が乏しく、研究が極めて困難な状況だが、日韓の共同研究は切実な問題だ。
10日午後、大邱<テグ>EXCO(エクスコ)409号室で嶺南<ヨンナム>日報とキム・チュンソン研究会主催で開かれた、朝鮮通信使400周年記念「キム・チュンソン(沙也可)日韓国際シンポジウム」第1部で貫井正之(ぬきいまさゆき、名古屋外国語大学講師)は『沙也可の時代から通信使の時代へ』と題するテーマで発表し、「沙也可、サミョンデサ(四溟大師、別名松雲大師)、徳川家康等は、豊臣秀吉の朝鮮侵略は不当であったと認識し、戦争の被害を防ぐため積極的に努力した」事を明らかにした。
貫井講師は「彼らは大惨禍をもたらした壬辰倭乱(文禄の役)の経験から教訓を得て国家の自立を守り、朝鮮と日本との平和な通信時代を開いた」と言及し、「今を生きる私達は両国の平和を願っていた彼らの努力と業績を学ばなければならないし、それが今回のシンポジウムを開催した現代的意義」だと強調した。
『朝鮮通信使研究の現在』をテーマに発表した仲尾宏(なかおひろし、京都造形芸術大学客員教授)は「日韓両国は朝鮮通信使についての研究を自国の歴史の一部として扱うのではなく、今まで両国で得た研究成果をお互い受け入れ、批判する土台の上で東北アジア地域史の観点で掘り下げなければいけない」と述べた。また「文化史上では、朝鮮通信使が日本の思想、医学、絵画、祭礼、文学等に具体的にどの様な影響を与え、日本はこれをどの様に受け入れたのかを研究して、反対に朝鮮通信使が朝鮮に持ち帰った日本文化についても注目する必要がある」と述べた。
仲尾教授は「沙也可の研究は沙也可が日本国内で足跡を残さなかったために日本での研究はそれほど進まないと思う。何よりも必要な文献資料の発掘が絶望的なので、今後韓国内の資料発掘により研究が進む事を期待する」と付け加えた。