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日韓「沙也可」国際シンポジウム

嶺南日報 2007年11月12日

キム・チュンソン(金忠善、別名沙也可)先生の人類愛と平和を願う精神は壬辰<イムジン>倭乱(文禄の役)以後朝鮮通信使へと受け継がれ日韓両国の友好と平和の促進に大きく貢献した。「キム・チュンソン」について史料が乏しく、研究が極めて困難な状況だが、日韓の共同研究は切実な問題だ。

10日午後、大邱<テグ>EXCO(エクスコ)409号室で嶺南<ヨンナム>日報とキム・チュンソン研究会主催で開かれた、朝鮮通信使400周年記念「キム・チュンソン(沙也可)日韓国際シンポジウム」第1部で貫井正之(ぬきいまさゆき、名古屋外国語大学講師)は『沙也可の時代から通信使の時代へ』と題するテーマで発表し、「沙也可、サミョンデサ(四溟大師、別名松雲大師)、徳川家康等は、豊臣秀吉の朝鮮侵略は不当であったと認識し、戦争の被害を防ぐため積極的に努力した」事を明らかにした。

貫井講師は「彼らは大惨禍をもたらした壬辰倭乱(文禄の役)の経験から教訓を得て国家の自立を守り、朝鮮と日本との平和な通信時代を開いた」と言及し、「今を生きる私達は両国の平和を願っていた彼らの努力と業績を学ばなければならないし、それが今回のシンポジウムを開催した現代的意義」だと強調した。

『朝鮮通信使研究の現在』をテーマに発表した仲尾宏(なかおひろし、京都造形芸術大学客員教授)は「日韓両国は朝鮮通信使についての研究を自国の歴史の一部として扱うのではなく、今まで両国で得た研究成果をお互い受け入れ、批判する土台の上で東北アジア地域史の観点で掘り下げなければいけない」と述べた。また「文化史上では、朝鮮通信使が日本の思想、医学、絵画、祭礼、文学等に具体的にどの様な影響を与え、日本はこれをどの様に受け入れたのかを研究して、反対に朝鮮通信使が朝鮮に持ち帰った日本文化についても注目する必要がある」と述べた。

仲尾教授は「沙也可の研究は沙也可が日本国内で足跡を残さなかったために日本での研究はそれほど進まないと思う。何よりも必要な文献資料の発掘が絶望的なので、今後韓国内の資料発掘により研究が進む事を期待する」と付け加えた。

 

山中靖都城(やまなかやすき、日韓比較文化郷土史家)は「日韓の交流において国家と民族の概念が先行すれば既存の考えから抜け出せない。人間の動向、文化の動向とは中立的な観点で人文学を見渡す必要がある」とし、「イ・スンシン(李舜臣)、キム・チュンソン(金忠善)についての研究も歴史上の人物として敬意を表しながらも国家や民族を超えた人間として捉え、韓日、日韓の歴史を認識する事が民間交流の出発点」だと力説した。

韓国と日本国内のキム・チュンソン研究会の活動が報告された「シンポジウム」第2部では各地のキム・チュンソン研究会とネットワークを強化し、ホームページの構築等を通じて相互間の状況を伝え、情報を共有する事で合意した。

中澤俊子(なかざわとしこ、東京「沙也可の会」代表)は「小説『沙也可』を日韓共同制作によるドラマもしくはドキュメンタリーを制作するため、韓国語の翻訳を進めている。今後この計画に日韓両国が積極的に支援し、協力してくれる事を願う」と述べた。

この日のシンポジウムには中村協二(なかむらきょうじ、和歌山市議会議員)をはじめ40余名の日本人と100余名の大邱市民が参加した。シンポジウム後、歓迎晩餐会が催された。11日午前にはタルソン郡カチャン面ウロク里サムジョンサンにあるキム・チュンソンの墓前で祭祀が行われた。

(嶺南日報 2007年 11月 12日、イ・ジンサン記者)

※「沙也可」は司馬遼太郎氏の街道をゆくシリーズ2巻の「韓のくに紀行」により日本ではある程度知られているのですが、韓国では大邱市(友鹿洞)など一部で知られているだけで、ソウルなど大都市では殆ど知られていないのが現状。(ソウル東亜日報の記者達の話)そのため韓国でもっと広く知らせる必要性を感じ、現在韓国語の翻訳と出版を韓国で進めているという意味でありドラマ、ドキュメンタリー制作はその先のことです。

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