島根大学法科大学院教授・弁護士
1947年4月15日 愛知県生まれ
1972年 東京大学法学部卒業
1972年4月 司法修習生(第26期)名古屋修習
1974年 弁護士登録(東京弁護士会)
1975年 新橋法律事務所開設
1987年〜88年 東京経済大学非常勤講師
1989年〜91年 和光大学非常勤講師
1986年〜 現在 町田市法律相談担当、顧問弁護士
2004年4月〜 島根大学法科大学院教授(公法、国際法担当)
その他
アジア人権基金理事
NPO花岡平和友好記念会(秋田県大館市)理事
花岡平和友好基金運営委員会(北京)運営委員
1966年4月、名古屋工業大学に入学。翌67年再受験して、東京大学文科一類(法学部)に入学。71年10月司法試験に合格。
72年3月東京大学法学部卒業。74年弁護士登録後、永山則夫連続射殺事件、4・27反軍裁判(反戦自衛官懲戒免職処分取消請求訴訟)などの弁護人、代理人をつとめる。
1986年、在日コリアンの韓宗碩(ハン・ジョンソク)さんが外国人登録時の指紋押捺を拒否した事件で弁護人となった。また、大島渚監督の「忘れられた皇軍」の主人公である朝鮮人元軍属の石成基さん陳石一さんの朝鮮人軍人・軍属戦後補償請求訴訟、東京都管理職試験受験資格確認訴訟(鄭香均さん訴訟)などを担当してきた。
1986年、中国人強制連行の象徴である花岡事件の在日中国人被害者による対鹿島建設交渉の代理人となり、さらに90年以降、在中国の花岡事件生存者・遺族の代理人として交渉し、鹿島が「深甚なる謝罪」を明らかにした90年7月5日の「共同発表」とりまとめに尽力した。
5年に及ぶ直接交渉をへて、花岡事件50周年の95年6月28日、東京地方裁判所に鹿島建設に対する中国人被害者(生存者・遺族)11名を原告とする損害賠償請求訴訟を提起、弁護団長をつとめる。
97年12月一審敗訴後、控訴審の東京高等裁判所は職権和解を開始、利害関係人として中国紅十字会の参加を得て、2000年11月29日、花岡事件被害者全体の解決をもたらす花岡和解を実現した。
また、中国人強制連行・西松安野事件では、中国人被害者5名を原告とした損害賠償請求訴訟の控訴審で弁護団長となり、2004年7月9日、原告の全面的勝訴の判決を導いた(最高裁係属中)。
2003年12月からは、枝川の朝鮮学校に対する東京都(石原慎太郎知事)の敷地明け渡しと地代相当金の支払請求訴訟において、在日朝鮮人の民族教育の権利擁護の立場から弁護団長として裁判をすすめてきた。
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