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絵・山中冬児先生 |
- 人間は、どんなに辛くても悲しくてもその時代時代をしっかり生きる力をもっているんだと思います。気負いなく、暗くなく、淡々とこの悲しく辛かった人生を語っていられる文章には頭が下がります。魂を込めて母娘で書かれた作品、大切にします。
ありがとうございました。 匿名希望(70代・女性)
- 第二次世界対戦勃発の年の生まれですから、書かれている状況が自分の生きた過去と重なって何度も涙しました。
ほんとうに子供たちや孫たち、それにつづく者たちに、こんな苦しくみじめな体験を強いる戦争というものを二度と味あわせてはなりませぬ。その方向へ向かう勢力には、全力で抵抗しなければと思います。 OS(60代)
- 『手のひらの記憶』は著者の心であり、私たち子どもを育てている母親の気持ちの代弁者であるように思えます。とても分かりやすい柔らかな文章です。これから生きていく子どもたちにも是非読んでもらえたらと思います。 匿名希望
- 旧「満州」で最愛の夫と息子を失ったあと、日本へ引き揚げてきて、行商や清掃の仕事をしながら二人の娘を育てる、著者の祖母にあたる女性の逞しさ、やさしさ、そして母娘や姉妹の絆の深さには読んでいて胸の奥が熱くなるし、人間というものへの信頼を新たにせずにはいられません。
長いスタンスで読まれていく一冊だと思います。
東京都世田谷区・悠愉学舎 海沼栄造
- 私にとっては遠いむかしの未知の世界のことだけど、この恐ろしい経験をした人がたしかにいて……ということをすごく感じました。
その人たちがいたから、今の私がいる。命はつながっている。
このことを改めて実感することができました。
埼玉県・MOMOKO(14歳)
- 「手のひらの記憶」拝読いたしました。
教育、学校……。随所に登場しました。その職に携わってきた者として改めてその影響力の大きさと重要性、そしてその重責を強く思うところです。
我々にとっては毎年繰り返すことであっても、生徒にはその年その日は一度しかない。その一度のときにどんな時間を用意できるのか、それは何事にも優先して考えなくちゃいけない。
この本を読んで、改めてそれが間違っていない、なにより我々が大事にしなくてはいけない課題だと感じました。
教師として、『大塚先生』のような方がいらしたことを誇らしく思うと同時に、自分の教師時代を振り返るところです。
東京都世田谷区・朝比奈喜秋
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- 戦後、配給のパンには、よく焼けていないものが混ざっていました。まだ幼かった私に、母は「よく焼けているのをください、と言ってもらってくるのよ」と言いましたけれども、いざ自分の番になると、恥ずかしくて大きな声が出せなかったことを思い出し、涙が出ました。
この本を読んでいると、母親に優しく語りかけられている気持ちがします。ずっと読み継がれていくことと思います。
東京都・KM
- 引き揚げ者の方々は、壮絶な日々を過ごしてきたのですね。
身を裂かれるような、精神を病むに違いない状態にもかかわらず、二人の娘さんを帰国させた母の力には、『本物の愛』があると感じました。
この本は子どもの小学校の図書室にも入っています。一番下の二年生の娘は、まだよめない漢字がたくさんあるのに、前後の文章でなんとなく分かると言って、学校のブックタイムで頑張って読んでいます。理解するにはまだ難しいと思いますが、昔のことを身近に感じてくれるとうれしいです。
神奈川県相模原市・AKEMI
- 著者と母親が、過去の事実に、本当に真摯に向き合う姿に思わず涙しました。
東京都世田谷区・匿名希望
- 私は当時、ハルピンの桃山小学校に通っておりました。
佐世保に上陸と同時に母が発病し、父の郷里まで苦しみながらたどり着きましたが、2ヵ月余りで41歳で亡くなりました。せめて帰国してからでよかったと、なぐさめ合うのもつらいことです。
あれから60年、ひたむきに生きてきました。
今、私もたしかに命のつながりを感じているひとりです。
一番感動したのは、若い方が正面から向き合ってこの本を書いて下さったことです。当時、子どもだった私たち世代まではかなり書いていらっしゃいますが、世代の違う方が書くのはめずらしいことです。
ほんとうに、ありがとうございました。
神奈川県横浜市・IS
- 本屋には、軍事論、戦争記のカテゴリーに置いてありましたが、読んでみた感想は「自分探し・ルーツ探し」という感じでした。
大切な宝を書き上げたものだと思います。
広島県・KM(40代・男性)
- タイトルにある「記憶」とは、コンピューターならば、ただ物を積み重ねるように情報を蓄えるということになるだろう。
けれども人の場合は、忘れまいとする意思が働く。
そうでない時には、忘れようとしても忘れることができないものとなって、体の深部に刻み込まれる。
このような記憶は、後日、喜びを与えてくれる音楽になることもあれば、時には自身を傷つける刃(やいば)になる時もある。
後者の場合であっても、この記憶は、スイッチ一つで削除をするように忘れ去ることはできない。
自身の体の中に危うい刃をとどめたままで、傷つきながら生きていくことを強いられる。
『手のひらの記憶』は、そんな記憶を抱えた母と著者である娘によって紡ぎ出されたドキュメンタリーだ。
危うい刃は、戦争の記憶であり、他人に知らされることなく、永遠に母親の体内深くにしまいこまれ続けるはずのものだった。
それが何故、私たちの目に触れることのできる「本」という形になったのか。
それは、戦争で起こった出来事を記録として残し世に問うということであり、また本文中にあるように、自分たちが「どんな命のつながりから生まれてきたか」を知りたいということだったのだと思う。
けれども、本を閉じた後に感じたことが、もう一つあった。
母親の体の奥深くに隠されていた、むき出しの刃を、何とかして鞘(さや)に収める作業だったのではないかということだ。
その作業には、著者だけではなく、もちろん母親本人も、2人を取巻く家族も携わったのではないだろうか。
記憶を消し去ることはできない。けれども、刃で体を傷つけることを和らげることはできるのではないかと思う。
そう考えると「手のひらの記憶」は、過去の記録ということだけではなく、「本」にするための過程をも含めた、現在の著者たち家族の物語でもあるはずだ。
読後に戦争について考えさせられるだけでなく、なぜかホッと暖かさを感じたのは、そのためなのかもしれない。
「読み聞かせをしてみよう!よみっこ」チャウリー
http://www.yomikko.gn.to/book/war.htm
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