結書房は 新しい時代の「架け橋」となる作品を中心に刊行する 出版社です

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株式会社 結書房
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読者・メディアから
■許浚
 
■沙也可
●S・Kさん(女性・松戸市在住)より
結書房御中
迅速な宅配便の手配有難うございました。
『許浚』上下巻、『「東医宝鑑」成る――その後の許浚』、17日夜に届きました。
有難うございます。期待していた通りで、読了するのに、手ごわいです。本日最寄郵便局より、ご請求の代金振り込ませていただきました。

そこで、少しお話を。
貴社のお名前は、アリオ亀有の「キディランド」さんの教育分野の棚にあった保坂展人さんの『学校だけが人生じゃない』でも見かけました。
保坂氏の本は岩波ブックレットの「共謀罪」も読ませていただいていました。早速サポータークラブの入会手続きをとりました。
私自身は、政党や団体に所属するものではありませんが……。

娘たちの在籍する高校のPTA活動等を通じて知り合った何人かの先生とは、彼女たちが卒業いたしましても、お付き合いさせていただいています。先般の教育基本法改正の動きにつきましても、注目しておりました次第です。

また私は、手芸の一つの分野でもある「結ぶ」を基本とした会社に従事していまして、マクラメ結び、ヘンプ結びなどの紐とビーズ等を扱っております。 なんという符合のお名前の出版社さんがあるものだと、驚くやら嬉しいやら。

また、韓国につきましては、「ポシャギ」という布の繋ぎ合わせの縫い物を2年ほど、日本在住の韓国の先生に師事しています。

さらに、新美隆先生のご子息とは、私の娘の一人が、大学院で同級で親しくさせていただいているとのこと。
様々な関連が「結ばれて」と思い、メール差し上げた次第です。

さらにお願いとしまして、
19日の朝日新聞の朝刊に大江健三郎さんのお話が掲載されていて、その中で、改正前の「教育基本法」のポケット版を何処かで出さないだろうか? 等とありました。
是非ご検討いただければと思います。

その際に、南原繁先生の著作集8巻の「日本における教育改革」のくだりも、併せて収録しては如何でしょうか? 著作権などいろいろ厄介でしょうが……。出版されれば、少なくても「1部」以上は購入いたしますよ。

長々有難うございました。
  2006年12月19日
S・Kさん(女性・松戸市在住)

匿名様(新宿区在住)よりのお手紙
『許浚』の完結編をお送りくださって有り難く存じます。朝鮮半島の歴史は、中国のそれより遠く、恥ずかしながら物語的にもリアリティを感じられず、今回の通信でご登場の案内を契機に読み出して、まさに驚天動地! なにやら物語読みの醍醐味、若い頃の感興が蘇ってきた思いでした。たぶん、皇国史観のみならず、わが日本国の歴史認識は「許浚」を葬り去って恥じなかったのでしょう! (2004年7月23日)

電子辞書フル稼働でも追いつかない。歴史認識のゆがみが大きすぎて何百万販売という韓国の実績が脅威に思われますが、壬辰・丁酉というおぞましい倭乱は、韓流ブームとは言え、なかなか乗り越えられない認識でしょう。儒教の国という認識の裏側でしょうか、金民世というような仏教徒の事跡に焦点を当てた掘り起こしが盲点であったことを知りました。皇国史観・植民地化のいたましい歴史の底に埋もれていった側面……。これまでリアリティを感じられず、歴史時代小説を敬遠してきたことを猛省して、朝鮮半島史を改めて探究したく思いました。貴重な契機に感謝いたします。(2004年7月27日)


●『許浚』日本図書館協会選定図書

●小説の中に韓国人の心情や歴史が凝縮されている。日本の方々に韓国の文化をより深く理解してほしい 
 「信濃毎日新聞」4/5

●貧しい人々のために三日三晩、夜を徹して治療にあたる超人的ひたむきさ。
 「東洋経済日報」5/23

●日本の読者に──訳者から
 韓国と日本には複雑な歴史がある。両国とも未来に向かって共存、共生、尊敬しあう理想像を持ち、その理想を作るために過去を解決していかなければならない。ともに相手の文化を学び、尊重しないといけない。
  「東洋経済日報」5/2

●困難に直面するたび、「命」を大切にするという価値観に基づいて、それを乗り越えていく姿は圧倒的で、時代を超えて感動をもたらしてくれる。
  「教育新聞」5/8

●読書──教育現場におすすめします    
 「全私学新聞」5/3・13合併号

●小説は波瀾万丈の許浚を追いつつ、伏線として漢方医学の世界へ読者を誘う。
 「京都新聞」6/18

●格調高い達意の日本語訳で読むことができることを、日本の読者としてありがたく存じます。
  河田いこひ

●現在の日本で心身の真の健康への関心が希薄であることを思うにつけ、『許浚』が日本で多くの妃とに読まれると良いと思います。
  河田いこひ

●朝鮮文化の深層が日本で理解されることが望まれます。  
  濱田耕策

●不幸な近代史だけが韓国(朝鮮)のすべてでないことが日本で理解されていくよう、改めて願うこの頃です。    
  金早雪

●こうした本の翻訳が日本で出版される事は、両国の文化交流の面から見ても、大変喜ばしい事と存じます。分かりやすく流れるような翻訳をされた、朴菖熙先生にも敬意を表します。    
  参議院議員・武見敬三

●日韓の歴史はほぐすにはあまりに溝が深い。それを超える夢を描いて交流しなければならない。       
  「神奈川新聞」4/26

●本書は韓国人のリアリズム、つまり天性の良い面、悪い面を包み隠さずストレートに表現しているため読者の心情に迫ってくるものが多いだろう。また人生の波乱を社会や国の運命との関わりという大きな画面でみせてくれるため、在日も共感するところがあると思う。
  「統一日報」5/1

 
●書評 山梨日日新聞(2006年1月22日)

“ 降倭 ” の将への熱い思い
  豊臣秀吉は 1592 年と 1597 年に「文禄・慶長の役」(朝鮮では「壬辰倭乱(イムジンウェラン)・丁酉再乱(チョンユジェラン)」)で、朝鮮への侵略戦争を行った。
 本書は、この大義なき凄惨(せいさん)な戦いに疑問を抱き、戦線を離脱して朝鮮の民と共に生きる道を選んだ沙也可(さやか)こと鈴木孫次郎の波潤(はらん)の生涯を描き上げた長編歴史小説の力作。副題「義に生きた降倭(こうわ)の将 」 の降倭とは、朝鮮側に投降した日本軍将兵を指す。
 鈴木孫次郎は、紀州の鉄砲集団・雑賀(さいが)衆を束ねていた鈴木孫市の二男として生まれ、古代朝鮮の貴族を祖先に持つ母から、朝鮮の国の文物について聞かされて育った。天正 13 ( 1585 )年の秀吉の雑賀攻めで父と兄が戦死し、肥後・阿蘇神宮へ逃れて地侍として 暮らす 。
  天正 20 (文禄元)年、加藤清正の命で 300 人はどの維賀鉄砲衆を率いる 23 歳の青年武将として出陣した。
  朝鮮の正規軍に義勇軍、救援の明軍との戦いで、戦線が伸びきって補給難となった日本軍に逃亡者が激増する。朝鮮の人々の悲しみに秀吉の雑賀攻めを 重ね 合わせていた孫 次郎 も、好戦派の加藤軍の仕打ちが人間として許せないと、降倭となった。
  慶長 3 ( 1598 )年の秀吉の病死で日本軍は撤退する。稚賀衆と共に山間部の友鹿洞(ウロクトン)に定住した孫次郎は、李王朝の要請で、各地の紛争や反乱を平定し、明を滅ぼした清の女真族との戦いに参戦した。その功で貴族の両班(ヤンパン)に列せられ、金忠善(キムチュンソン)の名前を賜り、 1642 年 9 月に 72 歳で波潤の生涯を終えた。
  物語が始まる前に、明治 38 ( 1905 )年設置の日本統監府が 降倭 の存在を完全否定したこと に論 及している点も注目される 。「そ の国には、その国の人々の 生活 があり、幸せがある」「 その国 のことは、その国に任せ ればよ い。他国に武力で侵略する など 以ての外」という沙也可の せり ふ、「憎しみや暴力から はなに ものも生まれないことを 強調し ておきたい」という「あと がき」 の記述から、作者の熱い思 いを 理解することができる。
  日本と朝鮮半島 2 国との 関係 が揺れ動いている現在、 沙也可 ・鈴木孫次郎の 存在 と歴史 的役割 を明確に描いた本書が持 つ意義 には大きなものがある。(清原康正・文芸 評論家)

●書評 聖教新聞(2006年3月8日)
  『沙也可』   江宮隆之 著
秀吉の朝鮮出兵に従軍した武将・鈴木孫次郎。凄惨な 戦い のなかこの 戦 に 大義 などない″と感じた孫次郎は「俺は 撤退 はせぬ。ここに残る」と、朝鮮に寝返り、今日までの友軍に向けて 発砲 することを決意。それは「祖国を 裏切る 訳ではなく、もっと大きな……人間としての大義」からだった。朝鮮 名「 沙也可」を名乗り、歴史から抹殺された男の謎に挑む歴史 長編小説 。

●産経新聞(2006年3月25日)
人類愛伝えた無名武士
古美術鑑定家・エッセイスト 中島誠之助

 私たちが接している歴史小説の多くは英雄伝脱であり、歴史の表面に浮かび出た人々の生涯や行動をたどることにより、そのとき彼らがどのように思考したかを知ることに興味が求められている。
  著者には大変失礼ながらこの本はその手の英雄や群雄 物語 ではない。ただいえることは、この本の全編を貴いているのが、人類愛と朝鮮の土と化してなお四百年の 長き にわたってその尊さを伝えた無名武士の 物語 ということだ。
  名刹 仏国寺を焼き、罪なき人々を殺した豊臣秀吉の朝鮮侵略は、日本では文禄・慶長の役と呼ばれる十六世紀末に起こった無益な戦争である。
  物語はその侵略軍の 先鋒 として従軍した紀州雑賀の鉄砲衆の 棟梁 を 主 人公としている。すぐれた狙撃手の鈴木孫次郎が、仲間たちとともに小西行長軍に属して釜山に上陸するあたりから戦いの描写が凄惨さを増していく。
  著者は鈴木孫次郎が朝鮮民衆の義勇兵に加わり、 雑賀 衆の「 雑賀」 が「サヤカ」と呼ばれて人望を得ていく設定に仕上げている。
  当時の日本に残された 記録 では、加藤清正の家来で阿蘇宮越後守という 者 が罪を得て高 麗 へ走ったとある。この人物が「沙也可」であるかどうかを断定できる記録は、日本側にも朝鮮側にも残ってい な い。しかし千人を超える武士が投降して降倭となり、辺境守備軍となった記録はある。
  司馬遼太郎の『街道をゆく 二 巻・韓のくに紀行』をひもとくと、大 邱 とおぼしき辺りに降倭村と伝えられる友 鹿 洞があり、そこに 沙 也可の子孫を訪ねるくだりがある。
  その三方を山で囲まれた田園風具に、司馬さんは日本を感じている。戸数は七十 戸 でことごとく金姓を名乗る。
  著者は沙也可こと孫次郎にいわせている。「祖国を裏切る 訳 ではなく、もっと大きな …人間としての大義を」と。

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